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真言宗船岡山観音院慈眼寺 - 小千谷市寺町商店街協同組合

戊辰戦争時武装局外中立を唱える長岡藩家老河井継之助と西軍土佐藩士岩村精一郎の談判が行われた場所が残されています。

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真言宗船岡山観音院慈眼寺
戊辰戦争時武装局外中立を唱える長岡藩家老河井継之助と西軍土佐藩士岩村精一郎の談判が行われた場所が残されています。

真言宗船岡山観音院慈眼寺

北越戊辰戦争の間写真の山門は明治25年に建立され「仁王門」とも呼ばれ県内でも有数の立派な山門です。
山門を進むと船岡観音堂があり、弘法大師の作と伝えられる本尊聖観世音菩薩が祭られております。
左手に戊辰戦争時の談判を書いた「会見記念碑」の大きな石碑が立っており、さらに進んだ本堂内には北越戊辰戦争時の「小千谷談判の間」が当時のまま残されております。

今から約140年前、慶応4年、当時小千谷は幕府領で会津藩預所となっており、長岡藩、会津藩などの各藩と西軍の戦が始まっておりました。
北越侵攻の重要拠点である当地に慶応4年の5月2日同寺において歴史に残る重要な会談が行われました。
武装局外中立を唱える長岡藩家老河合継之助と西軍土佐藩士岩村精一郎の談判「小千谷談判」です、しかしこの会談は約30分ほどで終わり決裂してしまいました。

これにより長岡藩は開戦を決意し北越戊辰戦争の激戦が始まります。
朝日山、榎峠では激戦があり主戦場は5月19日長岡へ移って行きました。
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