加茂市は、古くから北越の小京都といわれ、まちの面影は古都京都をしのばせる落ち着いたたたずまいを見せております。郷土民謡「加茂松阪」に「加茂は機(ハタ)どこ、箪笥(タンス)の出どこ、筬(オサ)と槌(ツチ)とが呼びかわす」と、うたい伝えられているように昔から箪笥のまち、織物のまちとして栄えてきました。

三方を緑の山でかこまれ、その一方の県立自然公園の粟ヶ岳から流れ出る加茂川が、市街地を縦貫して、信濃川に注ぎ、河船の往来も盛んで、山から切り出す材木の集散地として栄えました。加茂市の総面積の7割が山間地帯であることから、古くから天然桐が豊富に存在し容易に入手することができました。その桐材の特性を生かした衣類、医薬品、書画骨董等の保管保存用の箱物が指物師により作られ始めました。

加茂で指物師により箪笥が作られるようになったのは、220年ほど前の天明年間といわれております。丸屋小右エ門が大工のかたわら杉材で作り始めたと伝えられており、市内の旧家に箪笥の裏板に文化11年(1814年)購入と記された桐箪笥が現存します。文政3年(1820年)頃には、桐箱や桐箪笥類が船積みされ、加茂川から信濃川に出て、新潟や東北方面へ移出されたといわれます。

明治10年(1877年)に編纂された「加茂町誌資料」に箪笥400棹、長持200棹、造出と記され、産地形成を知ることができます。

明治15年(1882年)頃には北海道から東北六県へと出荷され、活況を呈するようになりました。

昭和51年に、桐の持つ優れた特性と美しい木目、木肌のぬくもり、手作業による高い技術が認められて、通商産業大臣から「伝統的工芸品」の指定を受けました。

【参考文献】加茂市史(上巻) 加茂市史編纂委員会編 昭50刊加茂市

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